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美味しくて健康的、時短にもなる発酵食。より多くの人に広めたい
厨oryzae(くりやおりぜ): 北谷三貴さん
起業のきっかけ
私は母が40歳で出産した三人兄妹の末っ子として育ちました。珠洲出身の母は味噌や梅干し、かぶら寿しといった昔ながらの発酵食を手作りしていて、そんな食生活が普通だと思っていました。かなり後になって、同世代の子たちの食卓に並ぶのはパスタやハンバーグのような今風の献立だと知り、「自家製の発酵食って当たり前じゃないんだ」と驚きましたね。食べるだけで作り方を教わることもなく母が80歳で他界してしまうと、懐かしくなって味噌やかぶら寿しを買ってみるも、親しんでいた味とどこか違う。作り方を調べて作ってみても美味しくならないんです。「どこかで教えてもらえないか」と探して行き着いたのが、(株)ウーマンスタイルが運営している「発酵食大学」でした。発酵食品の作り方だけなく発酵のメカニズムや石川の発酵文化なども学べると知り、2017年から通い始めることに。その講師だった小紺有花先生との出会いが、私にとっての大きな転機になったんです。
小紺先生は、発酵に関する疑問に即座に答えてくださるオールマイティな方。家庭料理や現代的なメニューに、甘酒や塩糀、酒粕、醤油、味噌などの発酵調味料を加えるだけで味わいがレベルアップすることを教えていただき、目から鱗の思いでした。「〇〇の素」のような市販調味料を使うと、失敗はないけれど画一的な味にしかなりません。でも発酵調味料は素材そのものの美味しさを引き出して、奥深い味わいを作り出すことができるんです。そんな発酵食をもっと知りたくなって発酵食大学院にも進み、小紺先生がコーディネートされる食事会にも積極的に参加。イタリアンやフレンチ、デザートと、どんなものにもマッチする発酵調味料の可能性の大きさに気づかされました。
発酵調味料を使うと料理を簡単に美味しく作れて、時短調理になります。栄養豊富な甘酒は子どもの離乳食にも便利だし、発酵食の繊細な味わいは子どもの味覚育成にも役立ちます。3人の子育てで苦労した経験もあり「もっと早く知っていたらどんなによかっただろう」と、発酵食の良さを多くの方に知ってほしいという気持ちが強くなっていきました。小紺先生のような指導者の道も考えましたが、まず美味しさを伝えることが先決、と食堂の出店を思い立ちました。40代半ばという年齢も考え、やるなら今だと。そんな矢先、やってきたのがコロナ禍の蔓延です。この時期に出店すべきなのか、地元の商工会に相談したところ、新店の出店は減っていないとのこと。さらに「ななお創業応援カルテット」という助成金制度についても詳しく教えてもらい、大きく背中を押されました。
それからすぐ七尾市主催の「創業塾」に通って財務管理や集客方法、事業計画書の作成法などを学び、同時進行で店舗の物件探し、店内の機材や内装の準備を進めました。カルテットで200万円の助成を受けるためには、事業計画書のほか、市や商工会議所、銀行の方々の前でのプレゼンテーションも必要でした。プレゼンではかなり突っ込んだ質問もされ、助成金採択の難しさを思い知りましたね。なんとか無事に助成金が採択されましたが、さらに足りない分を借り入れることに。人生初の借り入れだったので、融資額はもし事業がうまくいかなくても他で働いて返せる額を想定。それならば怖くないと考えたんです。「やってやれないことはない」という強い思いを頼りに約1年半突っ走って、2021年3月に「厨oryzae(くりやおりぜ)」をオープンすることができました。
大変だったこと
スタッフを雇わないワンオペスタイルのお店なので、事前にシュミレーションしておこうと、野々市市の「1の1シェアキッチン」で週1回チャレンジショップを出店。でも当時はコロナ禍でテイクアウトが多く、あまり参考になりませんでした。オープンしてみると、次々に訪れるお客様に食事の提供が遅れ、お叱りを受けることもしばしば。「出るのが遅い」との噂も耳に入り、心が折れそうになったこともありました。幸いしたのが、11~18時の営業中、ランチ時間を区切らなかったこと。長くくつろぎたい方、ランチ時間を逃してしまった方が足を運んでくださるようになっていったんです。私とのおしゃべりを楽しみに来店される方も増えてきて、ワンオペならではの良さがあることにも気づきました。
店が通りから見えにくいこともあり、集客の伸び悩みにも苦労しましたね。SNSでの発信もあまり手ごたえがなく不安が膨らみ始めていたところ、イベント出店のお声かけをいただいたんです。「そうだ!待っていても来ないなら、自分が出向こう」と、積極的にいろんなイベントに出るようになっていきました。カレーなどの食事や自家製クラフトドリンク、米粉のフォカッチャなどを提供し、お店を知っていただくきっかけになっています。イベントを通して出店者同士での交流も生まれ、情報交換できるのも思わぬ収穫でした。
コンセプト・強み
店名の厨(くりや)は厨房、台所という意味です。オリゼは日本固有の糀菌の名称で、米や稲の意味も合わせ持ちます。地元の能登半島・七尾には昔から酒蔵、味噌蔵、醤油蔵、糀屋などが多く存在し、発酵を利用した食文化が根づいています。その地で、手作りの発酵食を通じて、美味しく健康的な暮らしを提案したいとお店を始めました。
発酵食大学、発酵食大学大学院に通い、発酵食エキスパート1級を取得。甘酒、酒粕、味噌、みりん、塩糀、醤油糀などさまざまな発酵調味料を駆使した調理方法を学び、今も研究中です。発酵調味料は肉、魚、野菜など素材のおいしさを穏やかに融合し、ほっとする味わいを作り上げます。当店では化学調味料や添加物、白砂糖などを一切使用していないので、食べ続けていると体調がよくなってきます。私自身、白髪がほとんどなく、お通じやお肌の調子もとても良好です。
昔ながらの発酵食は口伝えでレシピ化されていないことが多いんです。それでは人に正確に伝えられず、同じ味の再現性も低くなってしまいます。私自身も母の味を作ることができずに困った経験があります。発酵食大学大学院では、いつでも同質の味に仕上がるよう、レシピで記録することを徹底的に教わりました。おかげさまでお店のほかに料理教室の依頼も増えており、何度も試作して練り上げた発酵食のオリジナルレシピを正確にお伝えできるのも私の強みだと思っています。
やりがい
提供するのはハンバーグやカレーなどいわゆる家庭料理ですが、下ごしらえに酒粕や味噌などを使い、発酵パワーで美味しさが凝縮した仕上がりになっています。「うちではあまり食べないのに、ここの料理なら食べてくれる」と通ってくださる親子連れや、大病した方の「ここの料理を食べたら調子がよくなる」「体調が落ちたら食べに来とるんや」といったお声かけもすごく励みになっていますね。
お店には、以前から発酵食を手作りしていた方、体にいいと知って甘酒や塩糀づくりを始めた方など、発酵食に関心のある方が多く来店されます。そんな方々との発酵食談義のひとときがすごく楽しいんです。発酵食を広めたくて始めたので、気軽に発酵食の疑問を相談できる情報交換の場として活用してもらえたら嬉しいですね。「そうやって作るんや」「そんな使い方あるんや」と目を輝かせるみなさんの姿が、私の元気の素です。
今後の展開
今年の元旦に起きた能登地震で、店舗は大きな被害を受けました。店内のグラスは全て割れて床に散乱、七尾市は断水状態に。3月に水は開通したものの、地面が傾いている可能性もあり、店舗の再開は時期を待つことにしました。現在は、和倉温泉街のお祭り会館の駐車場に4月にオープンした「和倉温泉屋台村」に出店しています。当面テント内で夜のみの営業ですが、年末には仮設店舗ができる予定で、こちらにも出店をエントリーしています。約2年間は無料で場所が提供されるので、その間に今後のことをじっくり考えるつもりです。
地元ではまだ揺れが続き、家屋倒壊の不安もあります。なかなか復興が進まない景色を見ているのもつらいですね。でも、まだまだやりたいことはありますし、落ち込んでばかりもいられません。仮店舗ではさまざまな方との出会いがあり、能登を思う方々との交流が生まれています。能登の新たな未来を拓くために、これから自分に何ができるか考え続けています。
昔ながらの発酵食づくりにも地震は大きな爪痕を残しました、近くの糀づくりのお店が廃業することになり、美味しい糀が手に入らず、今は全国から取り寄せて試している状態。とはいえ、やはり地元の糀を使った発酵食を提供するのが理想的です。奥能登には古くから自宅で糀を作っていた伝統もあるので、いずれは自分で作ってみようと考えています。
message/ 女性先輩起業家からのメッセージ
profile/ プロフィール
厨oryzae(くりやおりぜ): 北谷三貴さん
七尾市出身。幼い頃から母親の手作りの発酵食品に親しみながら育つ。2017年から発酵食大学、発酵食大学大学院で学び、発酵食エキスパート1級を取得。発酵食の良さを広めようと一念発起して、2021年3月「厨oryzae(くりやおりぜ)」を開業。発酵調味料を駆使した体に優しいメニューの提供や、発酵料理教室などの講師も務めるなど幅広く活躍中。
小紺有花氏主催「醸し塾伝道師」0期生。
※2024年度取材
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