起業のきっかけ
女手ひとつで私を育ててくれた母の職業が看護師でした。いつも楽しそうに働いている様子を幼い頃から見ていて、ごく自然に看護師を志すようになっていました。地元の福井県で高校の衛生看護科を卒業し准看護師資格を取得後、総合病院に就職。働きながら夜間の専門学校に通い、正看護師の資格を取りました。専門学校卒業後まもなく結婚して、長男を出産。まだ20代初めで、子育てと仕事の両立は大変でしたが、念願だった看護師として働く喜びは大きかったですね。
私が29歳のとき、それまで元気だった母のがんが発覚。自ら余命が少ないことを悟った母は、残り少ない時間を家で過ごしたいと切望しました。私も「母との時間は今しかない」と思い切って仕事をやめて、介護に専念することに。ところが看護師であるにもかかわらず、いざ母親を前にすると逃げ場がないんです。やむをえず訪問看護を利用してみると、その時間が「救い」になりました。母も私には強がるけれど、訪問看護師さんには弱音を言えていたようです。家でわずか3週間ほど過ごした後、母は55歳で旅立ちました。しばらくは茫然自失状態でしたが、「母が死をもって教えてくれたことを生かしたい」と、患者や家族の拠り所になれる「訪問看護」の分野で働こう、と心に決めました。
ちょうどその頃、地元で新規立ち上げの訪問看護事業所を知り、管理職として採用されました。翌年、転勤の打診があり、ステップアップしたいと思い、子どもと一緒に金沢という新天地で再スタートすることに。全国の事業所立ち上げに携わり、訪問看護の全体像がわかるにつれ、見えてきたのが介護保険では担えない多くのケースでした。呼吸器や痰の吸引器などを必要とする医療依存度が高い患者さんは、冠婚葬祭の行事や旅行に行きたくてもあきらめざるを得ません。「介護保険ではなく自費看護ならやれるのに」と思い調べてみると、大都市には自費看護サービスを提供する会社が数多くありました。自分自身、母を最期に温泉に連れて行ったことを思い出し、「きっと北陸にもニーズはある。自費看護をやるところがないなら自分で立ち上げよう」と、2018年、金沢市で自費看護サービス専門の事業所「どこでもナース」を立ち上げました。
起業してみると、多くの自費看護サービスに関わる「車移動」の課題も浮き彫りになりました。タクシーやレンタカーを使うことが多かったのですが、医療設備が整っておらす、「移動中に何かあったら…」と不安になることも多かったんです。より安全な移動を提供したいと考えたのが「民間救急/福祉・介護タクシー(通称:ケアタクシー)」の導入です。事業所で専用車を持ち、看護師が搬送するために、私自らが2020年に普通二種自動車免許を取得。国土交通省などの厳しい審査を通り、2023年8月からケアタクシー事業に参入しました。
コンセプト・強み
当事業所は、病院や訪問看護事業所で経験を積んだスタッフによって、お客様の「思いに寄り添い、安心をご提供する」ことを理念としています。移動から付き添いまで女性看護師が対応できるのは、「北陸ではここだけ」と自負しています。ケアタクシーには医療用酸素ボンベや痰の吸引器、ストレッチャーや車椅子を設置し、医療依存度が高いお客様に安全に快適に過ごしていただけるよう、万全の体制を整えています。
自費看護の場合、ご予約が入ると事前に面談をして、しっかりとご要望を伺います。可能な限り主治医とも面談を行っています。「どんな人が来るのだろう」というお客様の不安を取り払い、安心してご利用していただきたいからです。小規模事業所ならではの丁寧なコミュニケーションを心がけ、ご満足いただけるオーダーメイドのサービスを提供しています。
開業して間もない頃は、自費看護サービスはまだあまり浸透していませんでしたが、6年間の実績で認知度が広がり、介護保険サービスではどうしようもできず困っているお客様に「最後の砦」としてご利用いただけるようになってきました。今年からは看護師が搬送するケアタクシーも開始し、病院や施設の関係者から「オールマイティな体制が整ったね」と言っていただけるように。私が理想とするオーダーメイド看護サービスへさらに一歩近づけたかなと思っています。
大変だったこと
開業当初、自費看護サービスが普及していなかったため、一般的な料金基準がわかりませんでした。何がベストなのか検討を重ね、公的介護保険サービスの訪問看護の料金を基準に設定することにしました。介護保険サービスの訪問看護は1時間につき約1万円で、利用者はその1~3割を負担します。当事業所は「公的介護保険の料金目安の全額負担です」とお客様に伝えることで、料金設定の根拠もわかりやすくしています。
開業資金については、自分自身がサービス提供者ということもあり、医療器具やチラシ、パンフレット程度で、それほど経費はかかりませんでした。ケアタクシー導入にあたっては、車両やストレッチャー機材などで約500万円かかりました。人命に関わることなので、信頼できるものしか購入していません。価格よりも質を重視し、多少高くても安心して使えるものを選んでいます。すべて自己資金で賄いましたが、今思うと開業時は公庫の創業支援金などの融資を受けやすいようなので、借り入れも選択肢として考えてもよかったかもしれません。
起業して最も困ったことの一つは、会計業務です。ほとんど知識がなかったので、インターネット検索で知ったISICOに駆け込みました。会計士さんや中小企業診断士さんなどに無料で相談できるので、非常に助かっています。以来、いろんな専門家に様々な相談に乗っていただき、「困ったらISICOへ」が私の中でフローになっています。
やりがい
これまでを振り返ると、病院や訪問看護事業所で働いた経験や、母の看取り、そのすべてが今の私のベースになっていると感じます。特に母を看取ったことで、患者さんのご家族の気持ちがすごくよくわかります。患者さんはご家族にサポートしてもらえますが、ご家族だって辛さや悩みを抱えているんです。そんなご家族をさりげなく支えるのが私たちの役目だと思っています。
また、患者さんが亡くなった後、遺族は「ああすればよかった」と後悔を抱えることが多い。その気持ちを少しでも軽くしてあげたいですね。終末期の一時帰宅や旅行をサポートしたお客様から、「看護師さんがいてくれたから望みを叶えられた」「無理だと思っていたのに安心して任せられた」とお言葉をいただくと、お役に立てたと胸がいっぱいになります。
今後の展開
最近は、医療依存度の高い患者さんの病院転院搬送を中心にご依頼が増えてきました。現在、もう一人運転手を増やす計画で、スタッフが普通二種免許を取得中です。スタッフが運転し、私が付き添い看護師として2名同乗する体制になれば、より安全性の高いサービスを提供できると考えています。
コロナ禍も一段落し、今後は石川県への観光のために、自費看護サービスを利用するお客様も増えてくると思います。病気や障がいがある方も旅行を楽しめる、いわゆる「ユニバーサルツーリズム」に力をいれていきたいですね。多くのニーズがあると思うので、SNSを通じて全国に発信していくつもりです。
message/ 女性先輩起業家からのメッセージ
profile/ プロフィール
どこでもナース:酒田 祥子さん
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