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親せきの家のような懐かしき古民家宿で
都会人や子育てママに癒しを与える

喜屋:辻屋舞子さん

起業のきっかけ

2011年に結婚してまもなく、夫の転勤で福島県郡山市に住むことになりました。その2週間後に東日本大震災に遭遇。幸いにも被害自体はほとんどありませんでしたが、避難して来られる方にアパートのお風呂をお貸しするなどしながら、地域の助け合いの大切さを痛感しましたね。2013年に長男を出産すると、郡山市の子育て支援施設「プチママン」に通うようになりました。子育てママが中心となって運営するNPO団体で、託児ルーム付きカフェやママ向けの仕事斡旋コーナーなど、企業と協力しながら活動していました。震災を経験したからこそ、「これから地域を盛り上げていこう」というママたちの一致団結したエネルギーがものすごかったです。私も次男出産後からスタッフになり、カフェや託児ルームで働く一方、ランチの発案やママが楽しめるイベント企画など運営にも関わっていきました。ここで実践されていたのは、子ども連れで働けるだけでなく、ママが主体となった新しい働き方でした。ふりかえると、自分の働き方のベースを作ってくれた場所だったなと思います。
「プチママン」では自分と同様の「転勤族」のママたちとの出会いもありました。その中で「ずっと家族で転勤先についていったけれど、結局子どもに『地元』と呼べる場所をつくってあげられなかった」という声が心に残りました。私はというと、出身地の埼玉県にあまり思い入れはありませんでした。地元という言葉から思い浮かぶのは、幼い頃に年1度帰省していた祖母の家がある山形県。白鳥にエサやりにいった最上川、餅つきから手作りする鏡餅、近くに住む親せきの家で遊んだ日々…。あんなふうにゆったりとした心からくつろげる、確かに「地元」と思える場所が子どもたちにもあったらいいなと思ったんです。この考えに石川県の能登地域出身だった夫も共感してくれて、候補地を福島県と石川県に絞りました。

夫の転勤先の福島県郡山市のNPO法人「プチママン」では多くの出会いと発見があった。

福島県は子どもたちが生まれた地であり、復興へ向かう団結力とチャレンジ精神を肌で感じた場所でした。夫の実家に帰省する際にふれた石川県は、自然が豊かで食べ物がおいしく、金沢というキラキラとした観光地があり、田舎だけどアミューズメント要素もある「ネオ田舎」という印象でした。能登での体験で驚いたのは、ある老人施設を訪ねたとき、知らない中年女性が「いつ生まれるん?」とお腹をさわってきたこと。「なんて人懐っこい土地柄なんだろう!」と衝撃を受けましたね。

石川への気持ちが次第に膨らんでいく中、201712月に東京で開催された県の移住セミナーに参加。そこで初めて「地域おこし協力隊」という仕事を知りました。都市からの移住者が地域協力活動をしながら、その地域への定住を図るという移住促進の取り組みで、最大3年の任期で自治体からの給与も発生します。調べてみると夫の出身地の中能登町でも募集があり、「これは面白そう」と申し込むことに。地元の移住コーディネーターが親身に相談にのってくださり、とんとん拍子に話が進んで、20186月に3歳と5歳の息子たちとともに中能登町に移住しました。

大変だったこと

中能登町では空き家バンクに登録されていた古民家を紹介してもらって転居しました。この町の地域おこし協力隊に魅かれたのは、ミッションが「古民家・空き家を活用した起業・創業」であったことも大きかったですね。福島でお友だちになったママたちの9割は、会社を辞めて自分で起業していたんです。震災の経験から「子どものそばで働きたい」という思いが強かったのでしょう。そうした働き方にすごく影響を受けましたし、もともと田舎びた古い家も大好きだったんです。「好きなもので起業できるなんて最高!」とワクワクしましたね。

住まいも整い、さあ起業に向けて始動、と思ったものの、ここからが大変でした。当初掲げた目標は「キッズカフェ」の起業。ママカフェの延長線上で、古民家をベースに子育てママの憩いの場をつくろうと考えました。目標へ向けてスタートしたものの、地域の地名や特産物、暮らしの習慣さえも知らなかったので、まずは足を地域へ運ぶことに。どうやって起業すればいいかもわからなかったので、町で紹介されたISICOに何度も通ってアドバイスをもらい、子育てママの起業家の座談会やセミナーには片っ端から参加しました。市場調査もかねて、ほとんどの地域行事に参加し、地元の子育てママを集めてカフェを開催するなど、とにかく知り合いづくりを積極的にやっていきましたね。さらに、県内のまちづくりのエキスパートが登録する「地域づくり協会」で会いたい人に次々とアポをとり、「地域のことを教えてください」と相談にのってもらいました。

さまざまな人たちの話を聞くうちに、福島で起業したママとの違いが見えてきました。福島では「自分の好きなこと」での起業が多かったですが、石川では好きなことのみよりも、特産物などの地域性とコラボした起業が成功していると感じました。そんなときに出合ったのが1日1組の農家民宿「くつろぎ」の女将・島喜久子さん。このとき、農家民宿という宿泊スタイルを始めて知りました。こちらは、1組だけのオーダーメイドのおもてなしで、帰るころには家族のような温かい気持ちになれるのが魅力の宿です。ふと、山形の祖母の家を思い出し、「そうだ、田舎がまるごと味わえる宿にしよう」と思い立ちました。中能登町には宿泊施設が2軒しかなかったのも、稀少価値があると考えました。島さんは能登の農家民宿の先駆け「春蘭の里」で働いた豊富な経験を持っておられたので、「女将さんの弟子になります」とお願いし、いろいろとノウハウを教えていただきました。

コンセプト・強み

中能登の地域性がようやく見えてきた移住3年目、202010月に古民家民宿「喜屋」をオープン。宿名は大好きな漢字の「喜」と苗字からの「屋」を組み合わせ、「人を喜ばせ、その姿を見て自分も喜びたい」との思いを込めています。コンセプトは、能登への移住を考える人や田舎暮らしに憧れる人に「親せきの家のようなアットホームさ」を提供すること。1階の個室をゲストハウス、2階を家族の居住空間にして、風呂・トイレなどの水回りは共有に。起業にあたっての費用は1階の改修費がほとんどで、協力隊の活動費で賄うことができました。同じ建物に居住スペースがあるので、親近感はありつつも生活感が見えすぎないように心がけています。

「喜屋」の客室スペース。窓際で縁側気分を楽しめるコーナーもある。

力を入れているのは、地域の旬を取り入れた食事です。「もりもり野菜を食べよう!」をテーマに、中能登町産の野菜をふんだんに使っています。地域で近年盛んに栽培されている色鮮やかなカラー野菜を取り入れ、栄養豊富で食欲をそそるメニューを工夫しています。また四季折々に、かぶら寿司などの発酵食品や、いのししのジビエ鍋といった郷土料理も提供。都会では年中同じ食品が出回り季節感を感じにくいので、田舎ならではの季節の味覚をたっぷり味わっていただきたいと考えています。コロナ禍で旅行がなかなか難しい状況もあり、まだ本格的な集客はやっていませんが、宿泊された方の紹介を通して少しずつ知っていただけるようになってきました。「誰かに喜んでいただけた」と嬉しく思いながらも、日々丁寧にやっていかなければと身が引き締まりますね。

2021年4月からは弁当販売もスタートしました。かねてから、地域の企業や自治体、買い物に行きにくい地域のお年寄りへの販売を考えていたこともあり、コロナ禍で増えたテイクアウト需要に合わせた形です。宿と同様、野菜をメインにした彩り豊かなお弁当を、毎週水曜は中能登の道の駅で、木曜は「喜屋」で販売しています。どちらのお客様も女性がほとんどで、健康的な食生活に興味のある方や実践しておられる方、小さなお子さんを持つママが多いですね。20218月からは客室を使って、11組のランチを要予約で受け付けています。来ていただいた方から少しずつクチコミが広がり、「コロナ禍でも安心してのんびり楽しめる」「畳部屋で赤ちゃん連れでも楽」と、お子さん連れのママや中高年の女性客に好評をいただいています。まだまだ、営業日がわかりづらいとの声や、祝日・年末年始の営業や弁当の大口注文(30個以上)のご要望など、課題はたくさんありますが、どれもみなさんの期待の証と思い、一つずつ丁寧に対応していきたいです。

道の駅で販売しているカラー野菜弁当。地元産の旬の野菜を中心に体に優しい内容を心がけている。

1日1組(5名以内)で提供するランチ(要予約)。古代米のご飯や発酵食など盛りだくさんの内容。

今後の展開

もともと食事づくりは好きなほうでしたが、起業してからますます楽しくなってきました。今後やっていきたいのは、多様性に応じた食の提供です。自然がいっぱいの能登でもアレルギーのお子さんは多いですし、マクロビやビーガンなど食事制限をしている方もおられます。そんな方々に「喜屋へ行けば対応してもらえる」と頼られるようになりたいですね。当初の目標だったママと子どもが安心して集える「ママカフェ」も視野に入れています。ランチ以外にも、おしるこやおはぎなど、手作りのあんこを使った懐かしい和のおやつを出したいなと考えています。

2022年内には敷地内の納屋を改装して、カフェやワークショップスペースとして活用する予定。

能登のママたちの休日を充実させるために、お絵かきや工芸品づくり、郷土料理のワークショップを開催するなど、楽しいイベントも提供したいですね。「金沢に行かなくても地元も面白い」とママたちの意識を変化させるしかけをどんどん実践していこうと思います。宿に関しては、コロナ禍が落ち着いたら、日本文化に興味がある外国人観光客にもアピールしたい。まさに「日本の田舎の日常」が味わえるのが当宿ですから。

message/ 女性先輩起業家からのメッセージ

進めていくうちにその都度、課題や発見は出てきますが、その一つ一つを面白がる感覚が大切。「知らなかった!そうなんだ!」と好奇心を持ちながら、次の手を考える。私自身はそういうスタンスでやってきました。後は、どんどん人に聞くこと。わからないことは「聞くが1番」です。能登では一つ聞くと、3回返してくれます。積極的にアクションしたほうが得なんです。一人に聞くと「今度はあの人に聞くといいよ」と適任者を紹介してくれ、自然に人脈が広がっていきます。能登は行政の人も親切なので、アイデアがあれば、「どうやって実現すればいいんでしょう」と頼ってみるといいと思います。

都会と違って、さまざまな物事が人脈で成り立っている能登では、一人では何もできません。言い換えれば、人とのつながりがあれば、やりたいことが実現できるんです。祭りや地域の行事にも面白がって参加すると、そこからどんどん人がつながっていきますし、人とつながったほうが断然楽しい。私が弁当屋を始めると、地域のみなさんが「この野菜を使って」と持ってきてくれ、メニューにもいろんなアドバイスをしてくれました。ありがたいことに、無料でモニターをしていただいているようなものです。地域性を生かした起業や地元密着型の起業では、地域との関わりを丁寧に手を抜かずにやっていくことが大事。それが自分への評価ややりがいになって還ってくるのだなと思います。

 

profile/ プロフィール

喜屋:辻屋舞子さん

埼玉県出身。県内企業に就職し、結婚を機に退職。2011年、夫の転勤により移住した福島県で東日本大震災に遭遇する。長男出産をきっかけに子育て支援のNPO団体のスタッフとして働くように。転勤が続く夫と相談し「子どもたちのふるさとづくり」を決意。2018年に石川県中能登町の「地域おこし協力隊」となって、町内の古民家に長男・次男とともに移住。2020年、古民家民宿「喜屋」をオープン。現在は地域の特産物を使ったランチや弁当販売を手掛け、移住セミナーの講師としても活動している。
https://yorokobiya.net/
2021年度取材

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