起業のきっかけ
兼業農家だった祖父は定年退職後から本格的に農業に取り組み、地元の浅川地区が「金沢ゆず」の代表産地となるよう意欲的に励んでいました。私はというと、幼い頃から遊びに行きがてら手伝っていたものの、特に農業に関心が高いというわけではありませんでした。転機が訪れたのは、お好み焼き店でバイトとして働くようになってから。マスターがとにかく魅力的な方で、その人柄を慕っていろんな人たちが集まってくるお店でした。中でも経営者が多く、様々な人生観や考え方にふれ、「起業って面白そう」と思うようになったんです。
それまでは反抗期もあり、両親や祖父母にとげとげした態度で接することもしばしばでした。でも、バイトを通じて、がんばった分だけ人に喜んでもらえたり、お金がもらえたりと、目に見える手ごたえを感じるにつれ、周囲への感謝の気持ちが生まれてきました。自分の態度を反省し、休日に祖父母の農作業を手伝うようになると、次第にその絆も深まってきました。何より農業の魅力に目覚めたのが大きかったですね。お好み焼き店での接客は楽しかったですが、やはりそれは外向きの顔。休日に広々とした畑で汗を流しながら体を使って働くと、疲れはあるけれどもすごくリフレッシュできる。「農業は自分に合っている」と感じました。どんなに世の中の機械化が進んでも、最終的には人の目と手が必要なのが農業。食を支えるなくてはならない仕事でもあり、「これからは農業が来るんじゃないか」と思うようになりました。
農業に漠然とした興味を持ち始めたちょうどその頃、祖父が重い病気にかかり、農業を続けていけないという事態に陥りました。気落ちしながら冗談まじりに「お前してくれんか」と言う祖父に、「する、する!」と宣言してしまったんです。祖母は「もうからんし、しんどい。つらい思いはさせたくない」と反対しましたが、思い込んだ勢いもあり決意は揺るぎませんでした。それから、お好み焼き店に事情を告げて退職させてもらい、2016年3月に23歳で農園を引き継ぐと、その翌月に祖父は他界しました。
農園名は祖父の名前から取った「きよし農園」に。主品目は祖父の思い入れが強かった「金沢ゆず」「ヘタ紫なす」「しろねぎ」に絞りました。農業の基礎を学ぶために、2016年から金沢農業大学校に入学して2年間研修を積み、卒業後には認定農業者の資格を取得。この頃から父が会社を退職してスタッフとして働いてくれるようになり、経営者として農業を多角的にとらえる視点も生まれてきました。
コンセプト・強み
私が農業をやる理由は「美味しいものをつくりたい」というひとことに尽きます。人は本当に美味しいものを食べると、ほっとした気分になり、心が満たされます。それが食物が人に持たらす最大の恩恵だと思うんです。そのために、化学肥料や除草剤は使わず、天然素材を配合した肥料を使用し、手間ひま惜しまず作物を育てています。除草剤を使うと土壌中のいい菌も死んでしまい、いい土にならない。環境に負荷をかけず、自然を守ることも作物の美味しさにつながります。しんどいけれど、ここは譲れないところです。一般に売られている農産物は見た目重視の傾向があるので、大量に安定して供給するために農薬をどうしても使わなければならない事情は理解できます。でも自分が目指すところではそこではない。だからこそ、美味しい作物を作り上げるために日々研究し、時間もお金もかけて土づくりからこだわっています。
主品目のヘタ紫なすは、味が濃くて甘く、身がしまっていて、食べるとむっちりとした食感があります。煮ても蒸しても焼いても揚げても、どんな料理に使っても美味しい。通常のナスをヘタ紫なすに変えると、格段に料理がレベルアップします。これを食べたら、ナス嫌いのお子さんも好きになったという声をよく耳にします。私は幼い頃からこのナスばかり食べてきたので、大人になってお店などで食べるナスが美味しくないのが不思議だったんです。祖父にその理由を尋ねると「うちのは加賀野菜のひとつで、ほかのナスと品種が違うんや」と教えてくれ、品種による味の違いに驚きました。
ところが、味の良さにもかかわらず、ヘタ紫なすはほとんど知名度がなく、生産者はうちを含めて2軒しかいません。広く流通しているナスは、病気に強く安定した収量が見込めるように改良されたF1品種ですが、ヘタ紫なすは昔から伝わる種で病気になりやすく品質も安定しない。さらに知名度が低いために需要がなく、価格も低いんです。このままではいけないと思い、知名度向上のために耕作面積を拡大して生産量を増やし、美味しさを㏚するために「夕焼けレストラン」などのイベントも開催するようになりました。おかげで少しずつ評判が広がり、有名レストランや和食店からも注文をいただけるように。ほとんどの方が直接取りにきてくださるので、味の感想や調理方法などをお聞きできるのも励みになっています。いずれはこのヘタ紫なすが全国区のブランドになるのが夢のひとつです。
大変だったこと・やりがい
継いだ翌月に祖父がなくなり、当初は教えてくれる人もおらず、右も左もわからず、本当に大変でした。祖母と二人で苦労しているのを見るにみかねた周辺の農家さんが、わざわざ教えに来てくださることも。わからないことはとことん聞きながらなんとかやってきました。天候に左右される仕事の大変さもやってみて初めて気づきました。晴れの日にしかできない仕事があるのに、雨続きでできなかったりしてスケジュールが読めず、ハラハラするのも日常茶飯事です。
その上、祖父から受け継いだ作物はどれも育てやすいとはいえないものばかり。金沢ゆずには大きなトゲがあり、車がパンクするほどの鋭さ。剪定のときに枝が落ちてきて流血したこともあります。しろねぎは主品目の中では育てやすいほうですが、耕作面積を5倍にしたために除草作業に2週間もかかります。さらに、ヘタ紫なすの特性も大きな課題です。このナスは葉と葉の間が一般のナスより短く、葉がよく茂るんです。葉が多いと実が傷ついたり、光が当たりにくくて病気になりやすくなる。だから、葉を取る作業にかなりの手間がかかります。最初は周辺の農家さんにも市場の人にさえも「もうやめたら」とよく言われました。でも、持ち前の負けん気で「今に見ていろ」という気持ちで取り組んできました。実際のところ、1、2年目はしんどさのあまり「やめたいな」と思うこともありました。そんなときに限って、直売所に搬入していると、お客さんに「あんたんとこのナス、本当に美味しいわ」と声をかけられるんです。するとやっぱり嬉しくて「やめられないな」と思い直す。その繰り返しでだんだん鍛えられてきましたね。
今後の展開
2017年からはゆずの皮を使ったピール煮の加工・販売をスタートしました。きっかけは、ゆず農家が集まって傷もののゆずを絞る作業で出る廃棄皮を「もったいない」と感じたことからでした。この皮を再利用して商品化すれば、周辺農家の利益にもなると考えたんです。白山市の翠星高校にレシピを教えていただき、ピール煮を開発。製菓材料として和洋菓子店に買ってもらえるようになり、ピール煮を使った「ゆず大福」などのヒット商品も生まれています。こうして、ゆずを通じてつながった様々な人たちともに、お祭りでゆずをPRしようと「金沢ゆず香るん祭り」も開催しています。ゆずの販売をはじめ、ゆずの絞り体験、足湯、ゆずを使ったスイーツやグルメの飲食ブースが出店する楽しいイベントです。2020年はコロナ禍で中止となりましたが、今後も長く継続していきたい交流の場です。
ピール煮を始めた当初から構想していた加工所兼店舗が、2022年5月にオープンする予定です。ISICOのアドバイスをもとに補助金や融資を受けての大きなチャレンジとなります。浅川地区はゆずをはじめ果樹栽培が盛んなエリアなので、皮などの廃棄物を使ってフルーツソースに加工して業務用に販売する一方、ソースを使ったソフトクリームや和洋菓子をテイクアウト販売します。店のオープンをきっかけに、金沢中心部から車で10分の場所に美味しい果物の産地があることを多くの人に知ってほしいですね。地域には笹寿司やカゴバッグ作りなどの達人が沢山おられるので、ゆくゆくはそんな「得意の力」を活かせるスペースにもなればと思います。
とはいえ、周辺は高齢化が進み、耕作放棄地も急増しています。将来的にはそれらを請け負い、自分たちの手で再生したいとも考えています。こうした活動を通じて、もっと農業と農作物の魅力と価値を高めていきたいです。今は残念ながら、農家の作業量と努力に応じた評価がなされていないのが現状。でも農業はもっと注目されるに値する仕事です。かっこいい職業として、子どもたちが将来なりたい職業としてランキングされるぐらいに知名度を上げていこうと思っています。
message/ 女性先輩起業家からのメッセージ
profile/ プロフィール
きよし農園:多田礼奈さん
金沢市出身。23歳で亡き祖父の農園を引き継ぎ、「きよし農園」代表となる。金沢ゆず、ヘタ紫なす、しろねぎを主品目とし、低農薬・有機肥料の美味しい野菜づくりに力を注ぐ。地元エリアで企画・開催する「金沢ゆず香るん祭り」や加工品の開発、ヘタ紫なすのコース料理を提供する野外レストランなどの取り組みが評価され、2019年度「いしかわ女性のチャレンジ賞」授賞。里山活性化や農業生産者の地位向上を目指し、さまざまな分野とつながり幅広く活動している。
https://kiyoshinouen.jp/
※2021年度取材
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