voice
地域の健康拠点づくりと人材育成で
誰もが心地よく排泄できる社会に
合同会社プラスぽぽぽ:榊原 千秋さん
起業のきっかけ
私の人生において、最も大切にしているテーマは「人の尊厳」です。人が生まれてから死ぬまで繰り返さなければならないのが、排泄という行為。そのなくてはならない排泄を軸として、人の尊厳についてずっと考え続けてきました。きっかけは、小学校の頃に同居していた祖父が重度の認知症で寝たきりになり、祖母の壮絶な介護を目の当たりにしたことです。当時、紙おむつはまだなく、浴衣をほどいた生地とナイロンで覆っていました。臭いもひどく褥瘡(じょくそう)もでき、介護する側もされる側も気の毒で、どうにかならないかとずっと思っていました。そんな思いを胸に町役場の保健師になったものの、介護の現場にはなかなか関われず、もどかしい思いをしていました。
結婚後は小松市に住むことになり、在宅介護支援センターの保健師として、寝たきりの人の支援をするようになりました。夜から朝の間に排泄物でぐっしょり汚れている人たちが大勢いて、以前と何も変わっていない実態に唖然としました。そんなときに出合ったのが、排泄ケアの支援活動をしている「日本コンチネンス協会」でした。排泄トラブルには原因があり、原因を知れば対処できるという考え方に共鳴し、北陸支部を立ち上げ、講師として活動し始めました。さらに、その3年後に交通事故に遭って入院し、私自身が排泄ケアのサポートを受ける側に。この当事者体験によって、排泄ケアへの思いをますます強くしていったのです。
そんななか、2000年の介護保険制度開始によって、ケアマネジャーの役割を担うことに。これまで保健師として実践していた、当事者・家族・地域住民の声を聞きながら健康づくりを目指す「プライマリーヘルスケア」活動の足元をくじかれたような思いになったのです。思い切って、保健師の役割をあらためて見つめ直そうと、40歳で金沢大学医学系研究科保健学専攻に入学しました。博士課程まで進んでわかったのは、「世界にはまだ排便ケアのエビデンス(根拠)がない」ということでした。「ならば、私が排便ケアのエビデンスをつかもう!」と決心し、研究を開始。介護老人保健施設の介護士と看護師を排便ケアリーダとして育成し、施設で望ましい排便ケアを実践した結果、利用者の排便の質を高めることに成功したのです。
当時、大学では教員の立場になっていましたが、こうした研究を学術的な立場から発信しても、なかなか現場には伝わりませんでした。実践がないと現場は何も変わっていかないのです。変えるには行動するしかありません。「まずは地元の小松をよくしよう」と53歳で大学を辞し、排便ケアを軸にした地域の健康・医療・介護のサポート拠点として、「合同会社プラスぽぽぽ」「コミュニティスペースややのいえ」を立ち上げました。訪問看護・介護、健康相談など地域のケアを、当事者・家族・医療関係者などが一体となって助け合えるシステムづくりを目指したものです。同年には、赤ちゃんから高齢者まで誰もが気持ちよく排泄できる便育の拠点「うんこ文化センター おまかせうんチッチ」をスタートしました。
コンセプト・強み
私たちの事業は、排便ケアを基軸にしている点で、医療・介護のケア機関では唯一無二だと思います。そのテーマをより明確に打ち出しているのが「うんこ文化センター おまかせうんチッチ」です。市民の排便ケアを実践する場「うんこの相談室」と、排便ケアをもとにコミュニティケアができる人材を育成する「POOマスター養成研修会」の2つの両輪で運営しています。うんこの相談室では、毎週水曜に予約制で市民の相談を受け付け、食事・生活習慣指導・排便姿勢などスムーズな排便のための「便育」をアドバイスしています。便秘や軟便に悩む人たちにセルフケアできる方法をお伝えすると、ほとんどの症状が改善していきます。
POOマスター養成研修会は、次世代の排泄のプロを育成するプロジェクト。私の博士論文をベースにした5日間(全5か月間)の内容になっています。工夫したのは、インプットしたことをアウトプットできるカリキュラム構成です。座学で知識を学んだ後に、地域や組織で排便に困っている人に向き合う排便ケア改善のためのアクションプランを立案してもらい、3か月間の実践後に発表する機会を設けました。月1回の事例検討会や学術的な発信機関「日本うんこ文化学会」といったフィードバックの場もあり、当事者の悩みに寄り添いながら成長した卒業生たちの姿に、いつも「すごいなあ」と感心させられています。
「おまかせうんチッチ」は、2015年の開設当初にISICO(公益財団法人石川県産業創出支援機構)主催の「革新的ベンチャービジネスプランコンテストいしかわ」で優秀賞をいただきました。賞金100万円や融資が受けやすくなったのはもちろん、その後も数年先を見据えてずっとサポートしていただいています。中小企業診断士の指導のもと、事業計画書を立てて、事業全体を毎年ブラッシュアップしていくことができています。何よりも、学術的分野ではほとんど注目されなかった排便ケアを、「面白い」と評価してもらえたことがありがたかった。支援をうけたことで、「これていいんだ。この方向で間違っていないんだ」と力を得ましたね。
大変だったこと
2022年からは、多岐にわたる事業を「88(やや)グループ」としてまとめ、訪問看護、訪問介護、ホームホスピスなど幅広く取り組んでいます。ここに至るまでに最も大変だったのは人材の確保でした。私たちスタッフは地域の人たちから「ややさん」と呼ばれていますが、この「ややさん像」を初めに明確にしておく必要がありました。「ややさんって、いったいどんな人?」と考え、打ち出した理念が、「とことん当事者」「人として出会う」「自分ごととして考える」「十位一体のネットワーク」の4つです。絶対にゆずれない柱で、これを面白いと理解してくれないと、ややさんにはなれない。ここの理解にズレがあると、なかなか納得してもらえず、しっかりと人が定着するまで5年ぐらいかかりました。
理念の理解に役立ったのが「POOマスター養成研修会」です。排便ケアを通して、とことん当事者を学ぶことで、理念がストンと胸に落ちる瞬間があります。それを現場で実践してもらうことで、ようやくうまくいくようになりました。まさにうちのリーダー研修のようなものです。スタッフたちは「今日は理念通りにできたかな」と毎日振り返りながら、さらに成長していってくれています。
利用者さんの声も大きな励みになります。奥さんの最後を自宅で看取ったご主人は「ややさんのおかげで、家がいいという妻の思いをかなえてあげられた。一人では絶対できなかった。あんたらのおかげや」と涙を流して語ってくださいました。小学生のお子さんを抱えてご主人を亡くされた奥様からは「親身になってもらえ、うれしかった」とお手紙をいただきました。そうした声から、家族のような心を持ちながら相手の身になって考える姿勢を、スタッフみんなで共有できていると感じます。「誰一人、取り残さない」、そんな信念を持つ組織にようやくなれたように思います。
今後の展開
第一の目標は全国にPOOマスターを増やすことです。人が生まれてからずっと排便ケアが必要と考えると、日本に400万人のPOOマスターが必要です。そのために、2016年から「あなたのまちのPOOマスター 400万人プロジェクト」と銘打ち、土日に全国で研修会を開催してきました。おかげで、看護師、介護士、保健師、薬剤師、医師、企業関係者などさまざまな分野の方々が受講され、POOマスターは600人を突破しました。今後、プロジェクトをさらに推進していくために、各都道府県にPOOマスターの講師を増やそうと考え、準備を進めています。
医療・介護の現場では、未だ排便の悩みは尽きません。何日もたまった便を薬で出す日を「便出し日」といい、薬で便を出す作業は「便まわり」という、こんな言葉をなくしたいんです。現場では、直腸に便がたまり苦しんでいる人や、下剤を使われ過ぎて下痢で困っている人が大勢います。実態はまだまだひどい状態で、私のもとに日本全国から相談がきます。しかし、排便は日本だけでなく世界の医療現場でも共通の課題です。いずれはPOOマスターが世界で必要とされる日がくるでしょう。その日のために次世代の人材育成が必要不可欠なのです。
message/ 女性先輩起業家からのメッセージ
profile/ プロフィール
合同会社プラスぽぽぽ:榊原 千秋さん
愛媛県宇和島出身。同県立公衆衛生専門学校保健婦・助産婦科卒業後、町役場に保健師として勤務。結婚を機に石川県小松市へ。在宅介護支援センター等での勤務を経て、金沢大学医学系研究科保健学専攻で学び、博士課程修了。同大で助手・助教・講師を務めた後、2015年「合同会社プラスぽぽぽ」「コミュニティスペースややのいえ」を設立。同年に「ちひろ助産院」、「うんこ文化センター おまかせうんチッチ」、2016年に「訪問看護ステーションややのいえ」を立ち上げる。2018年におまかせうんチッチの拠点「コミュニティスペースとんとんひろば」、2022年には総合事務局の「88Labo」、ホームホスピス「もうひとつの家 ややさん」を開設。保健学博士、保健師、助産師、看護師、NPO法人日本コンチネンス協会認定コンチネンスアドバイザー。
※2022年度取材
この記事をシェアする